解説結城晴朝(ゆうきはるとも)

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戦国武将:結城晴朝(ゆうきはるとも)結城晴朝 天文3年-慶長19年(1534-1614):茨城県

結城晴朝(ゆうきはるとも)は、結城氏第17代当主で戦国大名。結城氏は、下総国結城城主(現茨城県西部)で、鎌倉時代より続く名族。室町時代なかばには、将軍足利義教率いる幕府軍と争い、一時滅亡するものの、戦国大名として、復活した。

嗣子を無くした叔父政勝の死去を受け、26歳で、家督を継承した。佐竹氏、宇都宮氏、後北条氏などと攻防を繰り返したが、継嗣の無かった晴朝は、宇都宮広綱の次男朝勝を養子に迎えた。

57歳のとき、豊臣秀吉に従い、小田原攻めに参戦し、所領を安堵された。また、秀吉との結びつきを深めたかった晴朝は、朝勝を廃嫡し、徳川家康の次男で、秀吉の養子となっていた秀康に養女を嫁がせて、養嗣子として迎え、家督を譲り隠居した。

関ヶ原の戦いの後、秀康が徳川姓に復して越前へ転封となると、秀康の五男直基に家督を譲った。享年81歳。

晴朝の死により、結城氏の血脈は断絶したが、その祭祀は秀康の庶子である前橋松平家に継承された。


■結城晴朝(ゆうきはるとも)ゆかりの地

墓所 ・孝顕寺-茨城県結城市
肖像画 ・孝顕寺蔵-茨城県結城市

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