宇都宮国綱(うつのみやくにつな)
宇都宮国綱 永禄11年-慶長12年(1568-1608):栃木県宇都宮国綱(うつのみやくにつな)は、宇都宮氏第22代当主で戦国大名。
宇都宮氏は、古来より下野国(現栃木県)一宮だった宇都宮二荒山神社座主・日光山別当職などを務めた下野国の名族だった。
9歳のとき、父広綱の死により家督を継承するが、後北条氏に攻められ、一時は、その居城である宇都宮城を落ちなければならない状況だった。その後、佐竹氏や結城氏の助力を得、また小田原征伐に参加し、豊臣秀吉より下野18万石を安堵された。
しかし、30歳のとき、突然、秀吉の命により改易され、備前の宇喜多秀家の預かりとなった。詳細は不明だが、継嗣問題に絡む、五奉行筆頭浅野長政の讒言による、という。 その後、秀吉より「再興を望むなら、朝鮮で戦功を挙げよ」と言われ、朝鮮に出兵し、武功を立てた。しかし、秀吉の死により、悲願の宇都宮氏再興は適わなかった。その後、諸国を流浪し、江戸浅草で病死したという。享年41歳。
その嫡男義綱は、常陸水戸藩に仕官し、その嫡男隆綱より代々家老職を務め、その名乗りの領地はふたたび得ることはできなかったが、宇都宮氏嫡流の血脈は受け継がれた。
■宇都宮国綱(うつのみやくにつな)ゆかりの地
| 墓所 | ・地蔵院-栃木県芳賀郡益子町 |
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