解説武田信玄(たけだ しんげん)・武田 晴信

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戦国武将:武田信玄(たけだ しんげん)武田信玄 大永元年-元亀4年(1521-1573):山梨県

武田信玄(たけだしんげん)は、甲斐国(現山梨県)を治めた甲斐国守護武田氏第19代当主、戦国大名。本名は晴信(はるのぶ)。信玄は法名である。第18代当主武田信虎の嫡男として生まれた。武田氏は、清和源氏の一流で、12世紀には甲斐に土着した名族である。尊崇を込めて「甲斐の虎」、「甲斐の龍」と称される。

信玄が生まれた頃、父信虎は、鎌倉公方や関東管領の混乱に巻き込まれて失墜していた甲斐守護の地位を復権し、甲斐国内統一を果していた。15歳で元服。晴信と名乗る。

21歳のとき、側近らと父信虎を甲斐から追い、家督を相続した。父の愛情が弟信繁にあり、廃嫡の恐れがあったから、とも言われている。その後、信虎は今川義元や足利義昭のもとに身を寄せ、信玄もその生活料を送金していたという。最後は、三男信廉の高遠城のもとで81歳の天寿を全うした。

家督を継いだ信玄は、隣国の信濃へ侵攻し、33歳のときに、ついに信濃のほぼ全域を平定するに至った。信玄によって信濃を追われた豪族たちの要請により出兵した上杉謙信(長尾景虎)との間に、以降、五度に渡る川中島の戦いが行なわれた。一方、尾張の織田信長の養女と嫡子勝頼と姻戚関係を結んだが、室町幕府第15代将軍足利義昭から信長追討の命を受け、敵対関係になった。また、駿河・遠江・三河地方へも侵攻した。徳川家康に死を覚悟させた三方ヶ原の戦いは、このときのものである。その帰路、街道上で死去した。享年53歳。父信虎よりも1年早い死であった。「自身の死を三年隠せ」、勝頼に「謙信を頼れ」などと遺言したという。

軍旗に「疾如風徐如林侵掠如火不動如山」と孫子の言葉を記したことはあまりにも有名である。また、「武田二十四将」に代表されるように、親族や家臣団の層が厚く、団結力が強かった。武田氏の武士団としての長い歴史のためもあるだろうが、やはり信玄の人柄によるところが大きいだろう。「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり。」の名言、甲斐国内の信玄の居城躑躅ヶ崎館には堀一重の平城だったことからもうかがえる。その地は現在、武田信玄を祭神とする「武田神社」となって、旧主を偲んでいる。


■武田信玄(たけだ しんげん)ゆかりの地

墓所 ・恵林寺-山梨県甲府市
・信玄公御墓所-山梨県甲府市
・福田寺-愛知県北設楽郡設楽町
・龍雲寺-長野県佐久市
・妙心寺玉鳳院-京都府京都市
・高野山奥の院-和歌山県伊都郡高野町
・諏訪湖(水中墓伝説)-長野県諏訪市周辺
肖像画 ・高野山持明寺蔵-和歌山県伊都郡高野町
・高野山成慶院蔵-和歌山県伊都郡高野町
銅像 ・甲府駅前-山梨県甲府市
・塩山駅前-山梨県甲州市
・(馬上より上杉謙信が迫る姿)
川中島古戦場跡(八幡原史跡公園)-長野県長野市
神社 武田神社(躑躅ヶ崎館跡)-山梨県甲府市
祭神名:武田信玄公

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