沼田景義(ぬまたかげよし)
沼田景義 天文21年-天正9年(1552-1581):群馬県沼田景義(ぬまたかげよし)は、上野沼田氏当主顕泰の庶子で戦国武将。沼田氏は、平安時代末には沼田周辺(現群馬県)を領していた。
小田原の北条氏は、再三に渡り沼田へ侵攻しようとしたが、その対応をめぐって、景義が10歳に満たない頃、上杉氏を頼り北条氏を迎え撃とうとする父顕泰と、北条氏に帰属しようとする伯父朝憲が対立していた。
18歳のとき、沼田氏の内紛に破れ、父顕泰とともに沼田城を落ちた。
沼田城氏の家督は、北条方の沼田氏一門の康元が継いだが、上杉氏は沼田城を攻め、康元は城を落ちた。父顕泰は、上杉氏の意向を受け、沼田氏の家督を再び継いだが、その名乗りの城である沼田城は、上杉氏による城代支配となってしまった。
27歳のとき、上杉謙信の死を受けて上杉氏が混乱すると、それに乗じて旧領への復帰を目指し、沼田へ出兵する。しかし、景義と同じく沼田を狙う真田真幸が、沼田氏旧臣で景義の母方の伯父(祖父ともいわれる)である金子泰清に景義暗殺を示唆しており、景義は沼田城に迎えられたが、金子らに城内で殺害されてしまった。享年30歳。これにより沼田氏は断絶した。
景義は、若い頃から大変な戦上手で、その神通力のような戦姿は武士の信仰を集める摩利支天の再来といわれたという。
■沼田景義(ぬまたかげよし)ゆかりの地
| 墓所 | ・小沢城址(法城院境内)-群馬県沼田市 |
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