解説南部信直(なんぶのぶなお)

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戦国武将:南部信直(なんぶのぶなお)南部信直 天文15年-慶長4年(1546-1599):岩手県

南部信直(なんぶのぶなお)は、南部氏第26代当主。陸奥盛岡藩初代藩主利直の父。南部氏中興の祖と言われているが、その地位は安穏として得たものではなかった。

信直は南部氏第22代当主の次男の長子として生まれたが、母は正室ではなく、いわゆる庶子であった。しかし、その有能さを買われ、男子のいない第24代当主晴政の娘婿として養嗣子に迎えられた。

しかし、25歳のとき、晴政に待望の男子晴継が誕生してからは、晴政に疎まれるようになり、31歳のときに正室が亡くなると、身の危険を感じたのか、信直は養嗣子の座を辞退して隠遁した。

信直37歳のときに、晴政が亡くなり、信直の地位を脅かした晴継が南部氏第25代当主となった。しかし、13歳の少年だった晴継は、当主となって早々に不可解な死を遂げた。真相は不明だが、信直の暗殺説、陰謀説もある。

晴れて南部氏第26代当主に納まった信直は、豊臣秀吉に接近し、所領を安堵された。家中の不満分子を制圧したことによって、領土は伊達政宗と近接することとなった。盛岡城を本城としたのは、正宗の侵略に対する備えであったという。

南部氏と領地の地盤を固めた信直は、遠征先の福岡城にて54歳で病死した。信直の長男、利直は初代盛岡藩主となり、その血脈は脈々と伝えられ、明治時代には伯爵に列せられた。


■南部信直(なんぶのぶなお)ゆかりの地

墓所 ・三光寺-青森県三戸郡南部町
肖像画 ・個人蔵

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