解説三好長慶(みよしながよし/ちょうけい)

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戦国武将:三好長慶(みよしながよし/ちょうけい)三好長慶 大永2年-永禄7年(1522-1564):徳島県

三好長慶(みよしながよし/ちょうけい)は、阿波国(現徳島県)の戦国大名。名を音読されることが多いが法名ではなく、読みやすさからか慣習になっているようである。三好氏は、清和源氏の支流で、鎌倉時代後期には阿波国内で活躍していたことがわかっている。

長慶は、三好元長の嫡男として生まれた。元長は、室町幕府管領で畿内でその権力を一手に握っていた細川晴元の重臣だったが、その勢力を恐れた晴元によって殺害されてしまう。長慶11歳のときのことである。幼少であった長慶は赦され、晴元に仕えた。しかし、父の遺領を継げなかったことを遺憾に思った長慶は、18歳のときに軍を率いて上京し、領地を再び得ることに成功した。長慶の勢いに恐れをなした室町幕府第12代将軍義晴は近江へ逃走したという。その後、晴元に忠実に仕えたが、28歳のとき、晴元と第13代将軍義輝を近江へ追いやり、事実上、畿内での実権を握った。享年45歳。

長慶を失った三好氏は、その権力を家宰の松永久秀に奪われ、嫡流は滅亡した。京都に上り将軍に圧力をかけたこと、堺の経済力に目をつけたこと、朝廷の権威を重要視し公家と交流を持つなど、織田信長と同じような行動がみられるが、長慶は、あくまで幕府の権威をもとに自身の権力を得ようとしたのであり、信長のように、倒幕して自身を天下人とする考えはなかったことが、両者の決定的な違いである。


■三好長慶(みよしながよし/ちょうけい)ゆかりの地

墓所 ・大徳寺聚光院-京都府京都市
肖像画 ・大徳寺聚光院蔵(京都国立博物館寄与)

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