解説顕如(けんにょ)

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戦国武将:顕如(けんにょ)顕如 天文12年-文禄元年(1543-1592):大阪府

顕如(けんにょ)は、浄土真宗の僧で本願寺第11世。第10世証如の長子として誕生した。この頃、本願寺教団は、一向一揆といわれる門徒による武力闘争は一大勢力であり、諸大名も無視できないものであった。また、幕府の有力大名や公家衆とも縁戚関係を持ち、大名に匹敵する権力を有していた。

天下統一を目論む織田信長にとって、本願寺は脅威であり、圧力をかけるようになった。28歳のとき、顕如率いる本願寺は織田氏と交戦状態に入った。しかし、次々と有力大名を滅ぼす信長に脅威と長引く戦闘状態に疲弊した顕如は、停戦した。和睦の条件として、本拠地であった石山本願寺(現大阪府大阪市)を去り、紀伊国鷺森別院(現和歌山県和歌山市)へ移った。顕如38歳のときのことである。

本能寺の変後、秀吉によって摂津への帰国を赦され、以前の寺領の近くに天満本願寺を建立した。石山本願寺の跡地には大坂城が建てられた。その後、京都に本願寺教団を再興し、50歳にて寂した。

顕如寂後、強硬派であった長男教如に代わり、三男の准如が第12世宗主となった。教如とその支持勢力は独立して東本願寺を建立するに至り、本願寺は西本願寺と呼ばれ、分裂し、現在に至る。


■顕如(けんにょ)ゆかりの地

墓所 ・本願寺大谷本廟-京都府京都市
肖像画 ・願泉寺(貝塚御坊)-大阪府貝塚市
・長福寺蔵-茨城県筑西市
・光徳寺蔵-岩手県花巻市

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