解説加藤清正(かとうきよまさ)

  • Yahoo!ブックマークに登録する
  • はてなブックマークに登録する
  • livedoorクリップに登録する
  • FC2ブックマークに登録する
  • Buzzurlブックマークに登録する
  • del.icio.usブックマークに登録する
  • ニフティクリップに登録する
戦国武将:加藤清正(かとうきよまさ)加藤清正 永禄5年-慶長16年(1562-1611):熊本県

加藤清正(かとうきよまさ)は、尾張国(現愛知県)出身の戦国大名。肥後国熊本藩(現熊本県)初代藩主である。加藤氏は、尾張の鍛冶屋だったが、清正の母が、豊臣秀吉の生母大政所の従姉妹だった縁から、12歳のときに、秀吉に出仕して小姓となった。

秀吉の遠戚として期待され、また清正もその期待に足る器量の持ち主だったことから、次々と戦功を挙げ、本能寺の変後の山崎の戦い、翌年の賤ヶ岳の戦いで活躍(賤ヶ岳の七本槍)すると、22歳で所領を与えられた。

25歳のとき、秀吉の九州征討に従軍し、肥後国北部19万5千石を与えられ、熊本城主となった。朝鮮出兵へも従軍し、通算5年ばかりを朝鮮で過ごした(文禄・慶長の役)。

秀吉の死後、徳川家康ともよしみを通じ、継室に家康の養女を迎えた。関ヶ原の戦いでは東軍につき、九州で活躍した。その功で、肥後国南部も与えられ、肥後一国52万石の大名となった。享年50歳。

清正の家督は三男忠広が継いだが、清正の死後22年で改易され、忠広は1万石を与えられて、出羽国庄内藩(現山形県鶴岡市)の酒井氏預かりとなった。改易の理由はさまざまに言われているが、やはり豊臣氏恩顧の最有力大名だったことを警戒されたから、と考えられている。

加藤清正は、知勇に優れた人物として、現代も「清正公」として尊崇を集めている。熊本城の入り口には、加藤氏の後に肥後国に入り、現代も活躍する細川氏(熊本県知事から第18代内閣総理大臣となった細川護煕はその直系)の家紋と、加藤氏の家紋が並べて掲げられている。また、朝鮮から帰国の際に、セロリを持ち帰った。セロリを「清正人参」とも呼ぶ。


■加藤清正(かとうきよまさ)ゆかりの地

墓所 ・本妙寺-熊本県熊本市
・天澤寺-山形県鶴岡市
・覚林寺-東京都港区
・池上本門寺-東京都大田区
肖像画 ・本妙寺蔵-熊本県熊本市
銅像 ・熊本城-熊本県熊本市
・本妙寺-熊本県熊本市
・名古屋城-愛知県名古屋市
・妙行寺-愛知県名古屋市
神社 ・加藤神社-熊本県熊本市
祭神名:加藤清正公

スポンサードリンク

関連記事


TOPPAGE  TOP