解説千葉重胤(ちばしげたね)

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戦国武将:千葉重胤(ちばしげたね)千葉重胤 天正4年-寛永10年(1576-1633):千葉県

千葉重胤(ちばしげたね)は、戦国時代の武将。
房総(現千葉県)の千葉氏の第31代当主。生年を天正11年(1583)とする異説もある。千葉氏は平氏の一流で、平安時代末には、下総国(現千葉県北部・茨城県の一部)を治める役人として、さらに土着していき、勢力を大きくした。源頼朝の挙兵の際には、一貫して協力し、鎌倉幕府以降、全国各地に所領を安堵され、戦国時代に入っても房総に勢力を保っていた。

しかし、10歳のときに父邦胤が家臣に暗殺されると、千葉氏の家督は、北条氏政の子息で邦胤の娘婿である千葉直重(重胤には義兄にあたる)が継ぐことになった。重胤は、母とともに北条氏の人質として小田原で過ごすことになる。15歳のとき、北条氏が滅亡すると、千葉氏もその与党と見なされ、所領を没収された。

その後、重胤は各地を放浪し、一時、徳川家康に仕え、領地を安堵されたこともあったが、どのような理由があったのか、その領地も返上し、浪人として江戸で客死したという。享年58歳。ここに、平安時代末より500年続いた名門千葉氏は、歴史の表舞台から姿を消した。その後、千葉氏の末裔は、多くは帰農し、東北地方を中心に、生活したという。


■千葉重胤(ちばしげたね)ゆかりの地

墓所 ・海隣寺-千葉県佐倉市

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