解説浅井長政(あざいながまさ)

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戦国武将:浅井長政(あざいながまさ)浅井長政 天文14年-天正元年(1545-1573):滋賀県

浅井長政(あざいながまさ)は、近江国(現滋賀県北部)北部を領した戦国大名。浅井氏は、近江の在地豪族や地域の有力者である郡司クラスの家系と思われる。近江国守護京極氏の譜代家臣として、近江地方に土着していた。

長政が生まれた頃、浅井氏は京極氏と同族である六角氏に破れ、領地を失い六角氏に臣従していた。15歳で元服すると家督を継ぎ、六角氏との戦闘で勝利を得(野良田の戦い)、領地を拡大し始めた。程なくして、美濃国(現岐阜県)の斎藤氏を抑えるため、織田信長と同盟関係を結び、信長の妹市と婚姻した。

26歳のとき、信長・徳川家康連合軍が朝倉氏に侵攻し、長政は信長と同盟関係にあったものの、長い付き合いの朝倉氏に味方した。信長に攻められた長政は、その居城である小谷城(現滋賀県長浜市)で自害。享年29歳。浅井氏は滅亡した。

長政の死と共に当時10歳だった嫡男は殺害された。次男は嬰児だったため命を助けられ、出家した後、浅井氏の傍流として残った。妻市と、3人の娘(茶々・初・督)は信長の許へ下り、市は柴田勝家に再嫁、茶々は豊臣秀吉の側室として後継者秀頼の母となり、大坂城と運命を共にした。初は京極高次室となり姉の運命を見届け、督は徳川幕府第2代将軍秀忠の室となり第3代将軍家光の母となった。

長政の武勇と人となりを高く評価していた信長は、何度も降伏勧告を行なったが、長政は断固拒否したという。夫婦仲の良かった市は運命をともにしようとしたが、長政の説得を受けて、落ち延びた。長政は早逝し、浅井氏は滅亡してしまったが、長政の血脈は、第3代将軍家光や女帝である明正天皇へ伝えられた。


■浅井長政(あざいながまさ)ゆかりの地

墓所 ・徳勝寺-滋賀県長浜市
・小谷城赤尾屋敷跡(自刃の地)-滋賀県東浅井郡湖北町
肖像画 ・高野山持明院蔵-和歌山県伊都郡高野町
銅像 ・河毛駅前-滋賀県東浅井郡湖北町
・名鉄間内駅前(浅井氏宅址)-愛知県春日井市
神社 ・三姉妹神社(柴田勝家とお市の方を祭神とする柴田神社境内)-福井県福井市
祭神名:長政とお市の方の間の3人の娘(茶々、初、督)

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