解説蘆名盛氏(あしなもりうじ)

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戦国武将:蘆名盛氏(あしなもりうじ)蘆名盛氏 大永元年-天正8年(1521-1580):福島県

蘆名盛氏(あしなもりうじ)は、陸奥会津地方を領した戦国大名。盛氏で第16代目にあたる蘆名氏は、源頼朝に近侍した三浦氏の庶流。14世紀には会津に土着していた。

伊達政宗の曽祖父にあたる稙宗の娘を正室とし、21歳のときに、父盛舜から家督を譲られた。41歳のときに、隠居剃髪し、家督を嫡男盛興に譲った。しかし、54歳のとき、盛興が男子を残さずに29歳の若さで亡くなったため、人質として預かっていた二階堂盛隆を盛興室と婚姻させ、養子として蘆名氏の家督を継がせた。

隠居後も積極的に領地支配に関与した盛氏であったが、家中には二階堂氏出身の盛隆に対する不満や、長年にわたる伊達氏や佐竹氏との抗争で領地は疲弊し、その晩年にはかつての力を失いつつあった。享年60歳。

養子盛隆は優れた武将であったが、生後一ヶ月の男児を残して23歳で夭折した。男児の母は盛興未亡人で伊達輝宗の妹であったため、伊達氏の助力を得て蘆名氏をまとめようとしたが、政宗は同盟関係を破棄し、また残された男児も3歳の幼さで夭折し、蘆名氏は断絶した。


■蘆名盛氏(あしなもりうじ)ゆかりの地

墓所 ・宗英寺-福島県会津若松市
木像 ・宗英寺蔵-福島県会津若松市

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