解説足利義昭・足利義輝・足利義栄

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戦国武将:足利義昭(あしかがよしあき)足利義昭 天文6年-慶長2年(1537-1597):京都府

足利義昭(あしかがよしあき)は、室町幕府第15代将軍。第13代将軍義輝の同母弟。次男だったため、幼少の頃から僧籍に入り、興福寺で権少僧都という高位に就いていた。義輝や同じく僧籍に入っていた弟が暗殺されるなか、義昭は逃れ還俗した。室町幕府の有力な大名だった若狭国(現福井県)の武田氏や越前国(現福井県)の朝倉氏を頼り、上洛の機会をうかがっていたが、朝倉氏の家臣だった明智光秀を介して織田信長と出会い、尾張国(現愛知県)へ下った。信長の援助で上洛を果した義昭は、義輝も御所としていた邸宅を整備させ、念願であった室町幕府が完全に再興させた。信長にとっては上洛の大義名分に過ぎなかった義昭は邪魔な存在となり、京都を追放し、足利将軍家の領有する御料所を信長は自領とした。ここに室町幕府は滅亡した。37歳のときである。信長の死後、秀吉に保護された義昭は52歳のとき将軍職を返上し、出家した。その後、秀吉に1万石の領地を与えられ、秀吉のもとで優雅にその後半生を送った。享年61歳。


■足利義昭(あしかがよしあき)ゆかりの地

墓所 ・等持院-京都府京都市
肖像画 ・東京大学史料編纂所蔵-東京都文京区
木像 ・等持院霊光院殿蔵-京都府京都市



足利義輝 天文5年-永禄8年(1536-1565):京都府

足利義輝(あしかがよしてる)は、室町幕府第13代将軍。第12代将軍義晴の嫡男として誕生し、11歳で父から将軍職を譲られた。この頃の幕府は、将軍に昔日の権威は無く、父義晴は管領細川晴元と対立し、京都に居ることはできなかった。義輝も将軍就任の儀式を近江国坂本(現滋賀県大津市)の日吉神社で行なった。程なくして晴元の家臣である三好長慶が台頭し、畿内一円に大勢力を築いた。義輝は再び京都を追われ、近江へ逃亡した。義輝は幕府権力と将軍権威の回復を目指し、諸国大名との関係に尽力した。最大の敵対勢力であった長慶は死去したものの、徐々に将軍として認められた義輝を疎ましく思った長慶遺児を擁する三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)と松永久秀に暗殺された。享年30歳。


■足利義輝(あしかがよしてる)ゆかりの地

墓所 ・俊龍寺-山口県山口市
肖像画 ・国立歴史民俗博物館蔵-千葉県佐倉市
・京都市立芸術大学芸術資料館蔵-京都府京都市
木像 ・等持院霊光院殿蔵-京都府京都市



足利義栄 天文7年-永禄11年(1538-1568):京都府
足利義栄(あしかがよしひで)は、室町幕府第14代将軍。第11代将軍義澄の孫。義輝暗殺の後、三好三人衆と松永久秀によって擁立された。しかし、混乱のため一度も入京を果せず、織田信長が義輝の弟である義昭を奉じて上洛したため、生地である阿波国(現徳島県)に逃れた。その直後、持病の腫瘍が悪化して病死した。享年31歳。


■足利義栄(あしかがよしひで)ゆかりの地

墓所 ・西光寺-徳島県阿南市
肖像画 ・個人蔵

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