解説朝倉義景(あさくらよしかげ)

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戦国武将:朝倉義景(あさくらよしかげ)朝倉義景 天文2年-天正元年(1533-1573):福井県

朝倉義景(あさくらよしかげ)は、越前国(現福井県)の戦国大名。越前朝倉氏第11代当主。朝倉氏は、古くから越前に土着した豪族で、父孝景の代に、室町幕府より越前国守護に取り立てられた。

16歳のとき、父孝景が死去したため、家督を相続した。はじめ延景(のぶかげ)と名乗るが、20歳のとき、室町幕府第13代将軍足利義輝より「義」の字を与えられ、義景と改名した。23歳のとき、将軍義輝が暗殺され、後に15代将軍となる義輝の弟義昭を迎え保護したが、上洛に消極的であったため、義昭は織田信長を頼って去ってしまった。

義景は、政務や統治に興味が無かったのか、遊興の日を送った。そのような状況のなか、室町幕府の復権を目指す義昭と信長の関係が悪化し、義昭は、義景に信長討伐の御内書を送った。信長・徳川家康連合軍に攻められた義景は、信長と姻戚関係にあった浅井長政の協力のもと、信長軍と対峙することになる。信長軍の猛攻を受けた義景は、その居城一乗谷城(現福井県福井市)を逃れたが、親族の裏切りにあい自害して果てた。享年41歳。

その子孫の行方ははっきりとはわかっておらず、少なくとも越前に栄えた義景の家系は絶えた。


■朝倉義景(あさくらよしかげ)ゆかりの地

墓所 ・一乗寺(義景公園)-福井県大野市
肖像画 ・心月寺蔵-福井県三方上中郡若狭町

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