秋田実季(あきたさねすえ)
秋田実季 天正4年-万治2年(1576-1660):秋田県秋田実季(あきたさねすえ)は、出羽秋田地方を治めた戦国大名。代々秋田城介を名乗り、秋田を本拠としていたが、領地を没収され、転封させられ、再び秋田を領することは適わなかった。
12歳のときに父親が亡くなり、家督を継いだが、その幼さゆえに親族から不満が出、3年の歳月をかけて、ようやくこれを鎮圧した。しかし、この騒動が、私闘を禁じる豊臣秀吉の命令(惣無事令)に違反したと見なされ、領地を一部没収された。
没収された領地は、実季が代官となり、実質管理できたが、関ヶ原の戦いでの身の処し方を徳川家康に責められ、常陸宍戸(現茨城県)へ転封させられた。その際、秀吉の命で代官となっていた旧領秋田の地は家康に没収されてしまった。実季、27歳のときである。
36歳のときに、代々自称してきた秋田城介に晴れて補任され、秋田氏の面目躍如となった。しかし、大坂夏の陣では、豊臣方と激突したものの大敗を喫し、さらに、お家騒動の咎めを受け、伊勢で30年に渡る蟄居の末、85歳で亡くなった。
長男俊季は、幕府に精勤し、陸奥美春藩(現福島県)の藩主となった。実季の伊勢蟄居の理由は、俊季との不仲が原因とも言われている。その子孫は、明治時代になり、子爵に列せられた。
■秋田実季(あきたさねすえ)ゆかりの地
| 墓所 | ・永松寺-三重県伊勢市 |
|---|---|
| 木像 | ・芳賀寺-福井県小浜市 |
スポンサードリンク





